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「リネン」と経済史

竹田 泉 教授
経済学部 経済学科
専門分野:西洋経済史

 18世紀後半にはじまったイギリス産業革命は綿業からはじまった。技術革新が次々起こり効率的な生産によって綿製品を安価にそして大量につくることができるようになったということはよく知られている。しかしその背景にアジアへの憧れが動機として存在していたことはそれほど知られていない。

 羊毛大国イギリスに綿が入ってきたことは衝撃であった。産業革命前、大半の衣類は羊毛でできていたし、直接肌に着用するものは亜麻製のものもあったが、亜麻の自給はできずヨーロッパのほかの地域から入手していた。当時の衣服の色は染められても地味な一色染めであった。そんなイギリスに東インド会社が持ち帰ったカラフルな色柄の軽くて薄いインド製綿布(キャラコ)はブームを引き起こした。

 当時の関税率表には、インド製キャラコは「リネン」の項目に分類されている。綿布なのに亜麻製品を意味する「リネン」の一種にカウントされているのである。このことはそれまでイギリスには綿繊維でつくられた織物がほとんど存在していなかったことを示している。イギリスにとって新しいモノである綿布はひとまず従来からある「リネン」の項目に入れられたが、その根拠は両者の類似性、共通性にあった。その後、亜麻織物や亜麻と綿の混織物でインド製キャラコの模倣品が製造されるようになった。もちろん質は本物には及ばなかったが、産業革命前のイギリスでは、異なる繊維である亜麻に頼ってインド製キャラコと似通った商品が生み出され、それは消費者によってオリジナルのインド製のものと同じ用途に使われた。興味深いことに、イギリスで純綿キャラコが国産化されるようになっても、それはしばらく「リネン」に分類された。

 すなわち、産業革命前、いや、産業革命がはじまってからもしばらくの間、当時のイギリスでは模倣品も含めて綿布はcottonsというよりもむしろlinens (linnens)だったのであり、その製造業はcotton manufactureというよりもむしろlinen (linnen) manufactureだったのである。これを安易に綿布とか綿業とかと表現してしまうと、その時代を見誤ることにもつながってしまう。ちなみに、cottonsは毛織物の種類を指す言葉として使われていたというのも、これまたおもしろい!

 産業革命を経て、かつてアジアが生み出す憧れの商品であったものが、今度はイギリス製品として世界各地に供給されるようになった。しかしこの「世界の工場」としてのイギリスの地位は永遠ではなかった。工業化が世界各地に普及、拡大するなかで、イギリスからアメリカ、日本、中国、南?東南アジアへと「世界の工場」の拠点は移動した。繊維製品生産の重心は今再びアジアにある。「底辺への競争」の結果である。現在のグローバリゼーションの問題は歴史的視点を要請している。

 イギリス産業革命はモノの生産のあり方を変えただけではなかった。人々の生活のあり方も大きく変えた。今の生活スタイルの原点はここにある。それまでは、人は基本的に太陽の動きに従って生活していた。家は仕事場も兼ね家族以外の関係者が出入りし、プライベート空間とは程遠いものであった。必要なものは基本的に自分たちでつくった。こうした生活は産業革命を経て大きく変わった。工場では時計の針に合わせて多くの労働者が働く。工場でつくられた繊維製品は家庭で衣服や室内装飾品として消費される。家は、仕事で疲れた体を癒す場所、家族団らんを楽しむ私的空間となっていく。今とあまり変わらない生活スタイルをそこに見つけることができる。